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2015年6月11日木曜日

ミレニアムのあの一夜


2000年。ミレニアムで沸き返るヨーロッパ。
当時美術予備校の浪人生だった私は、夏期講習のかわりにヨーロッパ旅行で本物を見てきたい、と親に嘆願、初の一人旅に出かけました。(今思うと許してくれた親に感謝ですね。)
ロンドンインからのローマアウト。
地続きの国を列車でガタゴト揺られながら、ロンドンではたくさんの工芸品にどっぷり浸かり、パリはルーブル、南仏にてゴッホの世界観に酔いしれ、オーストリアとドイツに少し立ち寄り、ミラノ、ベネチアビエンナーレ、フィレンツェで華やかな時間を過ごし、そして最後はローマ人の遺跡に感動する、という、初めての一人旅にしては具沢山な約1ヶ月ちょいだったと思います。

ベネチアのユースホステルで赤ワインを飲んでいたら、珍しい子連れの日本人の親子を発見、普段あまりわざわざ外国で日本の方に、と思っていたのですが、ついつい話しかけてしまいました。
外国人と赤ワインなんか飲んでるもんだから、しかも旅で日焼けしているもんだから、話しかけた瞬間、ぎょっとされ、「日系のイタリア人の方だと思ってた、、」と。
聞けば娘ちゃんは4歳、お母さんは看護師さん。夫と離婚して、その夫の連れ子だったその娘ちゃんと、思い切って旅に出た。。という。。。
話しているとものすごく腹の座ったお母さんと、とてもそのお母さんが大好きな4歳のかわいい女の子に、「あなたムーランみたいね。」となんかくすぐったくなるような(多分)褒め言葉に舞い上がり、次の日も一緒にベネチアの街を歩いた思い出があります。

母になり、夏になると、その子とお母さんを思い出します。血のつながりはなかったけれど、そんなの全く関係ない、とても素敵な親子さんだった。私が4歳の子ども連れで、ユースホステル点々と今できるかな、って思うと。やりたいけど、、、そこまで踏み切れるかとも思ったり。

今、その子はきっと16歳とか17歳。年頃の素敵なレディーになっているはず。
もし会えたらもう一度会ってみたいな。

あのベニスのホステルの外での、海から吹いてくるじっとりした夜風の中で、あなたムーランみたいね、と手をとられた4歳の彼女のまっすぐな目が、今も輝いていることを祈ってます。



2014年9月25日木曜日

熊楠のみたものは

いつも京都、大阪どまりな関西。時間の合間をぬって、南方熊楠記念館にいってきました。和歌山は初体験。ほとんど何も調べずにふらっと行くのもめずらしく。とりあえずムスメもいるので無茶な旅行もできずに(関西に行くのですでに無茶をしているだけに)、とりあえず下見もかねて、ということで。
いざ、レンタカーにのって白浜へ。

車から降りると、むわっとした温室のような湿度、と、海の感触。
小さな小高い山の中に熊楠の記念館はありました。人もほとんどおらず。熊楠の一生をほんの少しかいま見ることができました。
10歳から14歳の頃にうつし終えたという和漢三才図会をはじめとする数々の蔵書。
一度書いたものは忘れないという並外れた記憶力の持ち主。彼はアスペルガーだったとされているようですが、確かに常人ではないことは伝わってきました。
館内の粘菌を顕微鏡でのぞいてわくわくしたり。サボテンをそのまま押し花のようにつぶした標本をみて、やってみようと思ったり。
記念館の屋上から白浜の眺望をぐるりと眺め、丘を散歩するカニを追いかけ、季節外れの海へ。

初めて見る海に興奮気味のムスメと足だけつかって遊んでみたり。

思いのほか時間がかかってしまい、顕彰館に行く時間はなく(記念館を後回しにすればよかった!)とれとれ市場で海鮮丼に舌鼓をうっていそいでまた戻るという強行日帰り旅行でした。


今の世の中に彼が生きていたら、なにを集めて考えるのだろう。やっぱりデータなどではなく、形に残る生のなにかを集めるのでしょうか。

熊楠のみつめていた宇宙。顕微鏡でのぞいた世界から、歩いて探しまわったジャングルの中から、膨大な本から得られた知識から、彼の構築した宇宙を、彼の残した数々の標本や言葉から私たちは想像するしかありません。

2011年10月26日水曜日

ダイジェスト。


ブログの更新が滞ってます。
twitterやfacebookでほんとに満足してしまう今日この頃。

9月は、モスクワ、韓国、京都など、一人でマイレージためてました。
モスクワは、Design Actといわれるデザインイベントに参加してきました。
スーツケースに作品つめて、ジュエリーをメインに。
充実した9月。写真はモスクワ、Design Act のメインエントランス。ゴージャス。

なかなかできない体験してきました。

そして今、展示してます。

常総市まちなか展

30日までです。あと4日。

茨城県の常総市、水海道の古い建物の中で、展示中。落書きワークショップもやりました。
すべてのブログでの案内やウェブサイトが、、、後手に回ってます。facebook、twitterでは更新中!

11月は、前述のブログのVektorが入選した、伊丹国際クラフト展が開催されます。
よろしくお願いいたします。

2008年2月28日木曜日

旅行月


ベルギー
galerie sofie lachaert TIELRODE にて、無事展覧会が始まりました。
初めて訪れるアントワープやティルロデ、またまた新しい出会いと、素敵な作品たちに会う事ができて、感動ひとしおでした。
ベルギーにも遊びに来てね 笑

2008年1月18日金曜日

チュニジア酒事情


チュニジア。ソフトイスラムの国。
酒は、基本飲んでもいい国ですが、探せど探せど見つからず。
見つけたビールバーは、のぞいた瞬間、ボディーガードのおじさんが、「What's happen?!」要するに、カフェやバーなどの社交場に女の子が一人で来ることなど皆無な土地柄、でも絶対に飲みたい!と意志を固くした私は酒探しの旅に出るのでした。
2000円から3000円だすような、高級レストランには酒やワインがありますが、なにせツーリスト用な感覚のレストラン。一人で行くのはちょっと…
そこで2,3軒はしごしてようやく見つけたのは、首都チュニスでの出来事でした。
デパ地下のような場所の奥の奥、20人くらいのおじさんがまるで悪いことをしてるかのように列をなしていた一角にはゆめにまでみたアルコール天国。そのオジサン行列の最後尾に並んだのは言うまでもなくわたくし。並んだ瞬間にオジサン会議が始まり、その中の多分ちょっと英語が話せるであろうおじさんは、私に最前列に並ぶように指示。
どうやら、その列はほとんどレストラン経営などの業者さんらしく、かわいそうな酒中毒(そんなことないけど!)のツーリスト女性に先を譲ってくれるらしい。そこでありがたくチュニジアレッドワイン「マゴーン」とチュニジアビールをゲットできました。20人ごぼうぬき。笑
しばらく酒断ちしていた私には思いもよらぬ幸せハプニング!チュニジアオジサンたち、ありがとう。
ワインあけるのすごく苦労したけど、幸せでした。
チュニジアはやはり酒を手に入れるのが難しい国。ドイツの酒天国とは違うありがたさが。。感激ひとしおでございました。。

2008年1月17日木曜日

チュニジア2


チュニジアは今回
モナスティールin→スース→トズール→ドゥーズ→マトマタ→ジェルバ島→チュニス→カルタゴ+シディブサイド→モナスティールout を、8日間で回りました。
モナスティール空港からスースには1時間に2本くらいの電車で30分くらい。
スースからトズールまでは1日に1本の夜行電車。みんな寝てました。私は初日だったのでドキドキしてあまり寝れなかったけど。
トズールがかなり私的にはヒット。レンガを手前、奥に並べ分けてそこいらじゅうの建物に描かれる幾何学文様が美しかった。。しかも明け方6時に着いたときには砂っぽい真っ暗な街が、夜明けとともに太陽の光によってオアシスの水分が蒸発たのであろう、街全体が突然潤う感じで、その雰囲気がオアシスと人と砂漠とを感じさせるには充分でした。そこから砂漠への交通手段。。ルアージュ。前述のルアージュ、チュニジアへ行ったらぜひ体験しないと損です。おもしろいです。地球の歩き方の地図とは全然違う場所のルアージュステーションを探し当て、目指すはサハラ砂漠の入口、ドゥーズ。まあ、どこもかしこも観光地化されてますけど。らくだとかも待ち構えてますけど。それでも、サハラ砂漠!人生で一番最初に覚えた砂漠の名前がサハラ砂漠。。だと思う。砂はさらさらでした。細かすぎる。。甲子園よろしく一応持って帰ってきたけど。時間があれば、砂漠宿泊ラクダツアーやってもよかったけど、時間の都合上ツアーはパスで、がしかしラクダにはしっかり乗ってみました。私の白ラクダは暴れん坊で怖かった。どうやらみんなヒトコブラクダだって。
ドゥーズを後にした我々が向かった先はスターウォーズファンならみんな訪れるであろうマトマタへ。
このマトマタ、惑星タトゥインのロケ地。チュニジアの他の地域と違い、写真に写ってるような小山がいっぱい連なってるこの地域は風も強く、自然が厳しいようで、古くからベルベル人が横穴を小山に掘って、住居にしてるらしいです。今は観光的な感じがぬぐえないけれど、まだまだ素朴で、なかなかよかった。スターウォーズのロケ地は今はドミトリー式の宿泊施設になっていて、冬のシーズンオフの宿泊客はうちらを含め4人でした。スターウォーズバーと名付けられた小さなしょぼいバーは水が通常の3倍という値段でシャイセな感じでしたが、雰囲気はまるでおとぎ話のようでなかなか楽しめました。
その後リゾートなジェルバ島でまったりするもその後一人旅になり、女一人になった瞬間から、ナンパの雨あられ…
ジェルバからチュニスには超小さい墜落するんじゃないかくらいの飛行機で1時間、ジェルバのチュニスエアーで飛行機とって到着した首都チュニスはヨーロッパの景色の中にチュニジア人がいるっていう感じでした。チュニス滞在中に、念願のカルタゴ!ローマ人がはるか昔に覇権を握ったカルタゴ!感無量。天気もよくて、一人でニコニコしながらローマ人の生活を想像して楽しみました。シディブサイドもよかったけど、断然カルタゴ。
砂漠、海、遺跡、とかいつまんでチュニジア巡って感じたのは、まったく異文化ってことと、酒飲むの超むずかしいじゃないか!ということ
また酒かいって思った?大切ですよ~チュニジア酒談議はまた次の機会に。

2008年1月14日月曜日

チュニジア


チュニジア。北アフリカ。北は地中海、南はサハラ砂漠を望み、西はアルジェリア、東はリビア、と、テロ地域に挟まれた比較的ソフトなイスラム教の国。フランスに統治されていた過去から、フランス語とアラビア語がみんな話せて、英語は驚くほど通じません。おじいさんまでフランス語が堪能という、不思議な感じ。物価は日本の約4分の1程度な感覚。主にフランス人、ドイツ人のバカンスの場所として観光地化されてるところは、全然ヨーロッパな感じですが、ほんとに一部。チュニジアはまったくもってイスラム!なとこでした。
ヨーロッパからチュニジアへは、Monastir モナスティール空港、Djerba ジェルバ空港にやたらとエアーフランスや、ルフトハンザが飛んでるようで。今回はドイツが誇る(?)Air berlinを使って近所のHalle Lipzig 空港からニュルンベルグ乗り換えのモナスティールイン。何度か、ここはドイツ老人慰安旅行か?!と錯覚をおこし、こんなにも裕福なドイツ人たちが旅行してるとは…と驚きました。しかも、なぜか飛行機が着陸すると必ず拍手喝采。他国のツーリストに聞いても、「ドイツ人だからじゃない?」うん。私もそう思ったよ。

チュニジア、ちゃんと鉄道もバスもありました。ほんと、行く前の不安が嘘のように、意外としっかり旅行しやすくできているというか。日本とはそりゃ比べ物にならないですが、1時間に大体1~2本は電車もあったし(長距離は1日1本とかだけど)、南の方の砂漠に関しては、100キロくらいの都市間をルアージュとよばれる9人のりくらいのバンが往復していて、乗合形式でかなり安く人を運んでいました。最初は相当緊張しまくりで、どきどきしてましたが、そのうち慣れて景色も雰囲気も楽しめるようになり。
本当に絵のような砂漠の中に1本どこまでもまっすぐな道が走り、一緒にのってるおじさんたちは、思いっきり布を巻いたスターウォーズ的な衣装(普段着)で、ルアージュの運転手はイスラムポップみたいな音楽を爆音でかける。自分がそこにいることがどこまでも現実感がなく。着いた先は砂の吹き荒れる街。写真を見返しても不思議な気分がいまだに拭えません。いやいや。つづく

2008年1月9日水曜日

新年あけまして チュニジア


遅ればせながら、あけまして、おめでとうございます!

新年早々、チュニジア旅行へ行ってまいりまして、つい今しがた帰宅しました。

サハラ砂漠でラクダにのってみたりとかしました。
スパイシーなチュニジア料理と、青い空と、アフリカ大陸と
つきぬける強い日差しと吹きすさぶ砂と
白い肌の建物と地中海と


色々ありました。

楽しかったです。

チュニジア旅行記は近いうちに
そしてみなさんへの新年のごあいさつも。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2007年12月26日水曜日

メリークリスマス!


約1週間のハレ→ベルリン小旅行、夢だったのかなっていうくらい今となっては過去の事になってしまってさびしいかぎり。
凍るような気温の中で自転車こいだベルリンは、ドイツらしく常に曇天の空でした。テレビ塔も先まで見えず、丸い部分さえ見えないときだってあったり。
初オペラ、ベルリン国立歌劇場はフィガロの結婚。最前列、82ユーロの席が、学生割引でなんと20ユーロで観覧することができ、目の前で生のオーケストラが音楽を奏で、生のオペラ歌手が唄う迫力はすごい感動でした。
クリスマスマーケットではグリューワインを飲み、アイスバインを食べ、ソーセージをほおばり、レストランではシュニッツェルを頼んで、ほぼ初めてといっていいくらいの、theドイツ旅行。驚いたのは、結構ドイツ語が旅行に差支えない程度通じるようになってたこと。3か月の努力は無駄じゃなかった!と感動しつつ、ドイツ語しゃべることにより、より親切度が増すドイツで色々と満喫できる結果になりました。
クリスマスにはギョーザパーティーにもお邪魔させてもらったりして、ほんと、超感謝。
帰ってきたハレは突き抜けるような青空でした。
あんなににぎわっていたクリスマスマーケットは影も形もなくなって、どこのお店も閉まっていて、礼拝帰りのおばちゃんたちがトラムを待つくらいしか人影はありませんでした。
メリークリスマス
メリークリスマス

2007年11月25日日曜日

ブレーメン


海外留学生を対象とした、学校のプログラムで、なぜかハレからバスで4時間半以上もかかる、Bremen(ブレーメン)と、その近くの、Worpswede(ヴォルプスヴェーデ)へ行ってきました。

朝の6時発、夜の11時着、という強硬日帰りプログラム、ランチも晩御飯もでない、この不思議な勝手にしろよ旅行は、あわただしく過ぎました。

何の前情報もなく、Worpswedeへ。ヴォルプスヴェーデは、地球の歩き方によると、「森と林に囲まれた芸術家の村」らしい。ガイドさんの説明によると、もともと沼地だったこの地一帯と丘を整備して、人が住めるようになり、そこに芸術家が集まり始めて、今でもなお芸術家が住んで、制作を続けてる世界でも希少価値のある場所、とのこと。レンガ造りの小さなアトリエや家が並び、森林の中にぽつぽつと佇む雰囲気はよかったですが、だからといって、芸術ってなんなのさ、とぶつぶつ文句の一つもいいたくなるような、地域の町おこし的のりを感じてしまってちょっと興ざめするシーンもあったりして。まあ、ビジネスにするためには仕方ないのかもしれないけれど、これを芸術だ~この雰囲気がKunstだ~って、ちょっとちょっと、と眉をひそめるようなおばちゃんのりの広報活動が見え隠れして、ここが世界に誇るドイツの芸術の一端だなんて言われちゃうと、ドイツ大丈夫か?!といらぬ心配をしたり。笑

そそくさとブレーメンに移動、何か寝不足のせいか、ハーメルンの笛吹きとごっちゃになって、あれ?この銅像ってなんだ??と、ああ、物語も場所も違うじゃないか。あれ?ブレーメンの音楽隊って4匹だったっけ?この浅はかな中途半端な知識は、感動を手助けしてくれず、みんなが歓声をあげてこの銅像を囲む中、なんだかぽかんとしていた自分がいました。

建物は、ゴシック的なかなりデコラティブでごてごてしてて、結構見ごたえあり。しかもクリスマスを控え、土曜日の今日はかなりの人出。みんなプレゼントを探してるのか、小さな工房のウィンドウに並ぶ小物やジュエリーを必死に吟味している人たちも見かけました。ただ、ブレーメンの滞在時間、およそ3時間。うち、強制的に連れて行かれた美術館が1時間。あまりの極寒に外を歩くことすらためらわれ、1時間のティータイム、さらっと中心地を行進し、短い旅は終りを告げました。

結局移動時間が約10時間!そこまでしてブレーメン行きを企画する理由がよくわからなかったけれど、私はあんまり観光むいてないな。と心から実感できました。

2007年11月12日月曜日

上を向いて歩こう


週末にかけて知人に会うためにベルリンに赴いたら、初雪に出会いました。
前の日から凍るような風が吹きすさび、次の日は朝から、あめ→みぞれ→あられ→雪。
ドイツに来て初めての雪。
古い街並みに雪が積もっていく風景はなんだか素敵でした。特に、ヨーロッパの建物によくある、中庭(ドイツ語だとホーフ)にしんしんと雪がつもるあの感じは、ぼーっと台所に座りながらいつまでも眺めてしまいます。
ハレに帰る直前、友達の語学学校の打ち上げパーティーにお邪魔させていただいたところ、スペイン、イタリア、ブラジル、日本、中国とかなりインターナショナルな集まり。そんな中、中国人のオペラ歌手の卵の女の子が演じてくれたフィガロの結婚のワンシーンに感動しました。ベルリンにいると、すぐにアーティストに出会います。音楽、美術にかかわらず。
中にはどうしようもないのもいるんですが、その女の子はちゃんと勉強してきているだけあって、マンションの一室が、あっという間に恋心を唄うロマンチックなワンシーンに変身してしまったのでした。
音楽の心をわしづかみにする一瞬ってものすごいパワー。いつも感心します。
日本の歌も何か唄え~と、自分たちが何も日本の民謡やら長唄やら、トラディッショナルな歌を知らないことに気づき、すこし悲しくなりつつチョイスした、上を向いて歩こう


上をむいて 歩こう
涙がこぼれないように
思い出す 春の日
ひとりぼっちの夜

2007年10月24日水曜日

Dutch Design!


Design Academy Eindhoven の卒展にはるばる鉄道で7時間、初オランダは英語の通じる久々の感動を与えてくれました。
ダッチデザインの聖地、Design Academy Eindhovenの卒業制作展、もう熱気むんむんの、そこら中で若いデザイナーの青田買い・・・作品はもちろんのこと、ポートフォリオや名刺にいたるまで、ぬかりのない見せ方に学ぶところが多くありました。実際BAの生徒たちは1年生の時からグラフィックデザイン、webデザインやら製本にいたるまで、自分をオーガナイズするためのノウハウをたたきこまれるようで、ポートフォリオというよりは、本屋に置いてあってもおかしくないイメージブックに仕上がっている人もいて、とても興味深く拝見しました。
しかも、日本に多く入ってきているいわゆるデザイナーズ、的な雑貨や家具もここの卒業生が多くかかわっているものばかりで、ここで生まれたものが世界にそのまま反映されている感覚は、日本ではなかなか味わえないものでした。思いっきりマーケティングに乗っかっていく感じ。
個人的には好きな作品といやな作品と、まあ色々ありましたが、今やEindhovenが工業デザインの中でスタイルを確立して、独自の路線でみせていくやり方、そしてそれで成功している今の現状に、非常に多くのことを考えさせられます。
Eindhovenの街自体は昔戦争で焼けて新しく、町のショップもとても洗練されているとは言い難い雰囲気でしたが、それに反してデザインウィーク、卒展、となんだか華やかな一面と街自体が呼応してなく思えました。家もとても天井が低く、ドイツのそれとは全然比べ物にならない感じで。そしていろいろ聞くと、Eindhovenの住宅事情は劣悪らしく、高い、狭い、遠い、みたいな状況で、下手したら東京の住宅よりも住みづらいようです。ただ、家賃が高くとも、物価が高くとも、住み続けることができる人間もいることは確かで、その貧富の差というか、不自然な間合いは最後までぬぐいさることはできませんでした。
しかもちょっと一見おしゃれそうに見えるカフェやショップ、実際にその空間に入ってみるとなんだかごちゃごちゃしていたり、余計なものが置いてあったり。ひとつひとつはすごく素敵なデザインのものがおいてあっても、足し算ばかりの空間で、引き算がないかんじというか。なんていうか、空間にたいする意識の払い方が雑な印象でした。
建物の建て方も、建て増ししていくような、ここに、これ?!みたいな組み合わせの意匠だったり。
家が狭いとか、少ないとか、そんなことに関係してるのかもしれない。
なのにオランダ人やたらと背が高いんでね。ずっと肩すかしをくらってるような、謎が残る旅でした。アムステルダム、ユトレヒトらへんも行けたら謎が解明されるんでしょうか・・・・