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2015年2月1日日曜日

催事最終日です


エキュート東京、サウスコートikisuiでのイベントに参加しております。が、本日なんと最終日!たくさんの方々にお越しいただきまして、とっても充実した2週間でした。ありがとうございました。
制作と育児の合間をぬって、ちょこちょこ店頭に立たせていただきまして、店頭でお会いできたお客様からはセミオーダーをいただいたり、直接お話しながらお似合いのものを選ばせていただいたり、、そしてお話している間に新しいイメージがどんどん沸き上がってあらたにジュエリーが生まれたり。自分の話になってしまい、先輩方から育児について励ましをいただいたりもしてしまいました。
エキュート東京の販売員の方々もとっても素敵な方々で、一緒に催事をしているデザビレの面々や、たくさんの職人さん、SUNIはたくさんの方々に支えられて成り立ってるなあ。とあらためて実感いたしました。

そして。私はやっぱり一点物のジュエリーが大好きだな。と実感した部分もありました。
天然石も、この一点!みたいな模様や形を探して昔からコレクションしておりましたが、なかなかジュエリーという形をとれず、ようやく最近形になり始めまして。
もっともっともっと!時間が欲しい!!と欲張りな今日この頃です。

店頭にたって少し思ったこと。あら、これは手作りのジュエリーなのね?という反応をいただいたことがありました。ジュエリーに携わって思うことは、
「ほとんどすべて手作り」なのです。
はめている大きなたくさんのダイヤがついた指輪も、きらめくそのイヤリングも、どこかの職人さんがひとつひとつ石を留めて、磨き上げたもの。
もちろん形をパソコンで作ったり、その型を機械的に何個も作ったり、レーザーで抜いたり。工業的で大量生産な側面もたくさんありますが、
意外と様々なたくさんの職人さんのひたむきで地味なけれども精密な仕事の積み重ねによってジュエリーは生み出されているのです。

何となく、たくさんの職人さんたちのひたむきな努力を是非知ってほしくて。
手元の指に輝くその綺麗な石一つだって、どこかの職人さんの丁寧なカットのおかげなのです。





2008年3月12日水曜日

名前の付け方


カテゴリーわけをする事はラクだけど、私は昔からそれがヘタだ
私は女の子です。(でも)
私は日本で育ちました。(でも)
私は鍛金を専攻しています(でも)
今はジュエリーをしています(でも)
いつもいつもたくさんの”でも”に悩まされて、今だってなんて自分の事を言ったらいいのかわからない。
そんな人生平たくないし割り切れるもんでもないんだよ 
こんてんぽらりーじゅえりーって何だ げんだいあーとって何だ
今そこにある、ここにいる、それが何よりの強いカタチ
名前は後から誰かが勝手に与えてくれると信じなきゃ、そこに戸惑って仕方ない自分がいるような、いないような。

2007年12月10日月曜日

たよられしごと


「私、明後日プレゼンなの。
ジュエリーつくったことないんだけどこれ(陶器の小さなピース)をブローチにしなくちゃだめなの。」

と言われたのは昨日

頼られたら嫌とはいえないこの性格、久々に時間に追われながら毛穴の中まで気を張って作業するはめに

途中何度もなんでこんな一生懸命他人のプレゼンのために貴重な時間をさいているんだ。。私、忙しいの。と言われましても、いや、あなただけじゃないから。忙しいの。これだから欧米人は 怒 と何度もやってくる苛立ちを抑えつつ 作業している間にどんどんのめりこみ、熱中。
終わる頃には素晴らしい達成感につつまれ、アドレナリンでまくりでした。
次の事を常に頭にいれながら関門をひとつづつ突破していくあの感じ、最高にわくわくします。
やっぱりこちとら、趣味で作品作ってるわけじゃないんで相当本気ですよ。
みんな手作りのものって簡単だと思ってますけどね。大変なんですよ。

うん わかってもらえればそれでいいの。それがなによりなの。

2007年11月17日土曜日

手と作業について考える


去年の今頃、母が突然青ざめ、私の手をとり、嘆いた。「女の子がこんな汚い手・・・」それもそのはず、ムトーハップ(作品の最終仕上げの色上げのために、銅や銀を硫化させるための濃い温泉みたいの)を1日中した後の私の手は、爪や細かい傷が茶色にそまり、おっさんみたいな手になっていた。

きれいな手でいたい、とはあまり思わない。マニキュアに命をかけて、爪に描きまくってた時代もあったが、女を捨てたとかではなく、しわしわの手も、小さな手も、指が短くても、妙にでかすぎても、きれいでも、きたなくても、単純にそれが素敵だ、と思うから。手はその人個人を知るのに、かなりてっとりばやいポイントで、私はそこにとても興味がある。

私の場合、手は、いかに使いやすいか、がポイント。もともと器用だと思っていた自分は、周りに器用な人がわんさかいる美術業界で、器用というのは幻想だったと思い知らされ、そこをいかに補てんしていくかがキーワードになった。器用な人というのは、経験はもとより、利き腕じゃない方の腕の使い方がなにより上手だと思う。右利きの人の左腕。器用な人の、左腕のホールド感や、右手を補助する使い方は本当に感心する。器用な人の作業を見るのは本当に至福。感心してばっかり。

指。ずっと小さいものを持ち続けてヤスリをかけたりすると、指の先が硬くなってきて、ものすごいホールド感を与えてくれる。ちょっとした手の広げ具合、握り具合で、ものと自分とのバランスがとれる。
手首。時計をしたまま作業してると、肩がこる。自由に動かないことが、こんなに自分の作業の効率をさげるのかと驚く。手のひらは、金槌を1週間も降り続ければ、豆になるところがかたくなって、ちょうどいい堅さで作業を助けてくれる。
細かい仕事において、爪の存在も忘れられない。爪は、時には細かい金属のノコ刃から指を守り、時には彫りたがねの調子を見るために傷をつけられたり、ガイドになって爪の先がぎざぎざになったり、細かい物と物を曲げたりするのに使われる。

なんで、こんなことを改めて振り返ったかというと、
スイス人の助手さんが、糸のこの使い方についてレクチャーをしているのを盗み見してたら、その人が、足を組んでやる糸のこなんて考えられない。姿勢が悪いのもダメ。体全体で緊張感をもって、切るべき道筋をちゃんとイメージしながら肩から腕を動かすべし。的な内容の話と実演をしていて、そのたち振る舞いと緊張感に感動したのです。それは、清らかで、きれいな時間でした。

実は、作業は、作業ではなく、手や脳みそとのコミュニケーションで、実はすごい緊張感をもってする仕事なんだと、改めて実感したというのが事実で。それをなんだか遠いことのように霞がかかって、うすらぼんやりとしか認識していなかったというのも事実で。
自分がいかに慣れで作業を進めていたのかが身にしみて、本当にショックでした。
こんな当たり前の事を今更思い起こすというか、自分が惰性で作業していた事に反省しました。

初心に帰る、よりかは、初心者以下という事。。。。



爪の先まで神経とがらせて、仕事してますか??



2007年11月13日火曜日

このみのもんだい

建物の中身が好き。廃墟もすきだけど、この背骨の中にいるような建物を見るとわくわくします。この写真はベルリンの、オストバンホフ(東駅)。ドイツの古くからの駅舎は非常にかっこよいです。ドームってかんじで。
同じような理由で、小学校の体育館の天井や、有楽町の国際フォーラムとか、背骨、構造が見えてくると安心する。

何かが集合して密集してる感覚が自分を安心させるのかも。

構造が密集してる、例えば首都高の立体交差、みてるだけで大興奮 あの曲線と曲線が交差していく感じはたまらないけれど、大抵いつも運転手につき、写真が撮れずに残念な日々でした。
建設機械がたくさんいたりするとこも好き。道具がたくさん揃ってる場所、ホームセンターや人のアトリエも大好き。

突き詰めていくと、スーパーの陳列棚、書籍棚、ビーズ屋さん、煉瓦のぎっしりつまれた壁、細胞・・・何かが集合してできているものに異常な興味をしめしているような。。
そういえば作品もなにか小さなパーツが集まって形になるものに惹かれている。

女の子的編み物芸術、増殖芸術、、ひとくくりにされるのは癪だけど、そういう好みなんだから仕方ないよなあ。。。。。でもなんかげんなり。